学生時代わずか1ヶ月でしたが、スイス、ルガーノ湖の北のVico Morcoteという場所で、アメリカの建築大学との交換授業に参加しました。夕方からは中庭で料理をつくり、色々な国籍の仲間と食事を取ることもしばしばで、庭に生えたローズマリー使った料理やトマトベースの煮込みが定番でした。ある日のこと、大半の日本の学生が「課題を進めるので」という理由で食後の飲み会を早めに切り上げました。するとアメリカ人の女学生がその行動に対し「Party Pooper」といったのです。「場をしらけさせる日本人たちね」と。アラブ人やギリシア人といった他の国の人も同感といった様子だったのです。 あまりに悔しくて私ともう一人だけ、その集まりに参加し続けました。